「能代平野のガンの渡りと風の松原・河口周辺の鳥たち」前半『能代山本洋上風力を考える会』学習会
『能代山本洋上風力を考える会』第3回学習会に参加してきました。
聴講内容を書き起こしましたので、お読みください。
演題:「能代平野のガンの渡りと風の松原・河口周辺の鳥たち」
講師:渡辺進氏
開催日:2019年12月18日(水) 13:30~15:30
場所:能代市中央公民館 視聴覚室
★録音開始が間に合わず冒頭途中からの書き起こしです
★スライドの画像がないため、わかりにくいところがあると思います。今載せている画像はレジュメを写したものです。今後、更に掲載できるようでしたら追加していきたいと思います。
★聞き取れなかったところは※※※※と表記してあります。( )内は補足です。
考える会 中根会長:
演題は「能代平野のガンの渡りと風の松原・河口」ということで、私たちの世話人の一人であります渡辺進さんのほうから話をしていただきますので、よろしくお願いします。
渡辺さんは「日本野鳥の会」とかですね、あと元日本鳥学学会員だったり昨年まで入ってまして、あと「おとも自然の会」の設立にも尽力されました。
能代では一番鳥のことに詳しい人じゃないかというふうに思ってますので、ぜひ最後まで話を聞いていただいてですね、風車がどんな影響を与えるかということで、話をしていただきますので、最後までよろしくお願いいたします。
じゃあ、よろしくお願いいたします。
講師:渡辺進氏
こんにちは。渡辺でございます。会を考える会の渡辺です。
(スライド)
この写真は鉱砕処理場、終末処理場跡に風車が建った頃の写真です。火力発電所の上から撮った写真で、「能代平野を渡るガン」とそれから「風の松原・河口周辺の鳥たち」ということでお話させていただきます。
座って説明しますので、よろしくお願いします。
風力発電の問題点は、一つはバードストライク、二つ目は低周波の問題、それから三つ目が景観の問題とされております。
この風車が建ち並んだ時に、私とても忙しい時でしたので、浅内の野鳥に詳しい知人に「この風車に鳥がぶつからないかなあ」ということで、「ちょっと見てほしい」とお願いしたことがあるんですが、それは実現しませんでした。
バードストライクというのは、鳥が人工の構造物にぶつかる事故をいいますが、一つは建物にぶつかる、それから二つ目は航空機にぶつかる、三つ目が自動車にぶつかると。
建物にぶつかるということは、こういうことがありました。
能代周辺の小学校の話なんですが、体育館がこっち側とあっち側が素通しになっていて、鳥から見れば行けると思うんですね。
それでぶつかってしまって、アカゲラとかそういうふうなのが何羽も1年間の間にぶつかって死んだのを冷蔵庫に入れて保管しておりました。
そういうことがあります。
航空機のバードストライクは、これは大変ですよね。もし墜落したら、こりゃ大変なことになります。
それから自動車もけっこうぶつかるそうですが、私たちがこの辺を走ってますと、タヌキですね、よく見るのは。
第四のこの風力発電の風車にぶつかると、いう問題は鳥にとっては大きな脅威ですが、このことは後 のほうでふれたいと思います。
今日の話の内容はそういうふうに「渡るガンとそれから小鳥たちの渡りの話を通して、もし洋上や陸上に巨大な風車が立ち並ぶとどうなるかということを想像していただきたい」と、いうことでよろしくお願いいたします。
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これは、白神山地の西側の方ですよね。で、この山が流山、大鉢流山と言いまして、直接海に裾野が落ち込んでおります。これからずっと右の方に白神山地が続いていくわけですけども、
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これはもう皆さん知っている人は知っている山ですね。白神山、これが向白神山です。この写真を撮った時はこっちのほうの落合の海岸なんかにはもちろん風力発電の風車はまだ建っておりませんでした。
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これは白神山地の地図っていうか、これが岩木山、それからこれが二ッ森、田代岳、能代市、これは鷹巣、大館となっていますが、この岩木山の西南、この辺から八峰町に伸びてきている山ですね、山々です。これが八峰町辺りにきますと今度は右に折れます。L字型の山域になります。これを私たち能代この辺の山本郡の人たちは、この辺を南から見ていることになります。13万ヘクタールあると言われております。
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ガンたちはこの白神山地を越えてやって来ます。目指すは能代平野。
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これは東能代の向こうの扇田あたりの上空2500メートルから ------ 望遠レンズでなくって ------ 広角レンズの10ミリというかなりの広角レンズで、能代平野を全体が入るように撮ったバーチャルの図です。石川、それから沢目、近くの方が強調されて遠くの方が縮小されております。これが富根、切石。で、この辺り------まだ写っていないこっちのもっと下の南の方------には ※ ※ ※ とか、田屋とかそういう平野がありますが、そういうふうに、ひじょうに短いレンズで撮ったもんですから、全体が丸みをもって歪んでおります、この図自体が。そういう図です。
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ガンはこの小友沼に降ります。小友沼に降りてきます。ここに向かって降りてきます。
50ヘクタールあるそうですが、全部で。この下の方の南の方は、葦なんかで覆われていて海水面はその半分しかないんですけど。それが小友沼です。
なぜガンはこの小友沼に降りるのでしょうか。それは、魚などのエサをとるためではありません。眠るためです。
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これは南西の方向から写真を撮った、------ 後のこれ医師会病院かな ------ そういう方向になりますね。こっちの方向が左下の方向が田んぼがあって、能代市街地が広がっていると。
そういう小友沼で、この辺に中島があります。
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能代の人もあんまり小友沼って知らないんですよ。それでいつかこの図を作ったんですが、東能代ですね。みょうが館のこの辺りから車の入れる道路を高速の下をくぐって小友沼に着きます。
ここに、一晩に最も多い時で、秋ですと先程のガンが2、3万羽でしょうか。一晩にです。ですから実際にはこの能代平野さっきの能代平野を渡って来るガンの数っていうのはもう、かなりの数になります。
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(能代の年表を見ながら)
これは、ここ室町時代、で、これが赤丸が清水ジロベイマサヨシという人が能代村の村長に桧山の殿様から任命されて今の日和山下に住居を構えて十軒ばかりの漁村であったといいます。もう10年位すると砂飛びが非常に激しくて、大町あたりに皆移住したとなっております。
そうしてこの江戸時代の始め1619年からこの赤い印はですね、58年間、58年もかかってさっきの小友沼を造ったと。当時は谷間に細い水路が流れているだけだったと言います。
この辺にそういういきさつが書いてございますが、そういうふうになんと58年もかかって、今だったらビックリしますよね。それでさっきのああいうふうな沼ができたわけです。
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また白神山地に戻りますが、図が小さいので文字をちょっと大きくしてみましたが、これが大鉢流山、それからこれがさっき白く雪をかぶっていた白神岳。1200メートル位あります。
それからちょっと右に、向白神岳があってですね、この山はそうですね、ニューグリーン(*ビジネスホテル)ってご存じでしょうか。あの辺から見ると真正面に見えます。
それから二ッ森。この二ッ森は河口付近からは見えません。前に泊岳という山の陰になって。それでも鉄橋東の方の、東側の鉄橋まで行くとこの二ッ森が見えてきます。
そうして、何と言ってもここからここまでの中で一番わかりやすい山は、この水沢山です。水沢ダムの奥にあります。で、この山は、この赤い ※ ※ で書いてみると「ちょこーん、ちょこん」とこうなってるんです。「低ーい、高い」。どっから見てもそう見えます、これ。だからこの山を基準にこう見ると「ああこれが焼山だ」とか、なんとかというのがわかります。
なおこれは長馬内岳、おさばないだけと言うんですが、これは双二峰です、私に言わせると。二つのてっぺんがあります。右っ側にも。藤里の詳しい人に聞くと、「いやそうでないよ、双耳峰じゃないよ」と言ってましたが。
そうしてこれが駒ケ岳、ちょっと小さくて見えませんが。そして田代岳。
これ (大鉢流山~田代岳) 全部が、河口から全部見えます。
これがその白神山地の南。これを河口から見ている、あっ違った、これは東能代から見た図です。
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そしてこれは、十二湖のパンフレットを改変したんですがそういうふうな大間越とか岩館とか八森、水沢山とかでありますが、この緑色の部分が白神山地世界遺産になっております。日本で初めて、屋久島ですね、あそこと一緒に世界遺産になりました。1993年だそうです。
(スライド) 次お願いします。
この薄い桃色が核心地域、それから薄い青色が緩衝地域です。これが遺産地域なんですね。白神山全部が遺産地域と思っている人もいますが、そうではありません。
白神岳、そして雁森岳、小岳、二ッ森、これが県境になりますね。そこに雁森岳っていう山があるんです。
この白神山地のここはどうして世界遺産になったかというと、東アジアでここより大きなブナ林はないということで世界遺産になったんですが、そこに雁森岳っていう山があるんですよ。山名辞典を見ましたら、ガンなどの鳥が渡って歩くからと書いてありました。
(スライド) 次お願いします。
この図は昔『十三湖』『八郎潟』、私が若い頃はガンなんていませんでしたから、後でちょっと触れますが、そこを直線で結んでみました。『八郎潟』ー『十三湖』。するとその線上というか線の下と言ったらいいか『雁森岳』があって、さらに『小友沼』があるんです。そしてこの時見つけたんですが、この『雁森岳』から真下に20キロ離れた所、この赤い線から5キロ離れた所に、なんと今度は『菱食山』っていう山があったんです。
ヒシクイっていうのはガンの仲間で、マガンに次いで多い鳥です。ですからこの赤い線がガンの渡って来る、あるいは北へ帰る時の、中心線になるんだろうと思います。
その証拠と言ったらいいか、この線から離れた鷹巣ではかなりガンの数は少なくなります。そして大館まで行くと、ほとんどと言っていいほどガンは渡って歩きません。
ですからやっぱり昔大昔って言ったらいいかね、これがやはり中心で、と考えるのが当たっているのではないかなと考えます。
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これは河口からですね、米代川河口から撮った写真ですが、これが水沢山、ほら「ポコーン、ポコン」とこうなってるんです。もちろんこれ望遠レンズですから普通は目で見てもかなりの望遠でないとこういうふうに撮れません。
で、これが泊岳。さっき言いましたように、この山二ッ森は、この山 (泊岳) の陰になってるんです、河口から見れば。そしてここに、こういうふうな稜線が走っていますね。そして、その奥にこれが雁森岳です。で、この稜線は何かというと水沢側の右の斜面です。割となだらかな稜線になっております。
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夏にその雁森岳が近くに見えるはずだということで (水沢川の右岸の稜線に) 登ってみました。これが水沢川の上流です。ここで車は終わりです。行ったことある人たくさんいると思いますが。ここまで車で行けるんですよ。そうしてこれを登ってこっちの方向とこっちの方向でも行けますし、これからぐるっとこう回ることもできます。この青いのが水沢川ですね、上流になりますけども。
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これが雁森岳です。望遠レンズで撮ってますのでこれもちょっとボケているのは、これは、あ、画像小っちゃいのを大きくしたからだな。ちなみに青森県ではこの山のことを「トッチャカ」と言うそうです。トッチャカ。聞きましたら、「トッチャカ」と言うのは、にわとりのトサカのことだと。なんかそんな感じがしますよね。でもここは、そう簡単にっていうか山男でも行けない山ですよ。道もないし。まっ冬は行けると思います、専門家は。でも夏は難しいでしょうね。
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これがさっきの写真を立体化したものです。二ッ森、さっきの写真では二ッ森は写っていませんでしたね。この赤い線がさっきの稜線です。A点からここに車を停めてこれを登って行きますと大体1時間かかります。そうすると一歩向こうが、もう世界遺産地域です。一歩踏み出せば。で、そこに雁森岳があり、岩木山が見えます。
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さっきの赤い線がこれです、これですね。雁森岳があってこれが水沢山、これが、たまりの山ですね。
そういう位置関係になっておりますが、私、雁森岳にはもちろん行けませんので「ガンが秋にこっち(雁森岳)の方向から飛んで来ないかな」と、あるいはまた「手前の方の能代平野からあっち(雁森岳)の方に飛んで行かないかな」ということを考えまして ------ 見ることができないかなと思っていましたが、早春だとまだゆけないんで、早春のガンが渡っていく頃、北へ帰る頃は全然もう雪ばっかりですので ------ 秋に3回挑戦しました。
そしたらその3回目に、この雁森岳の方向からこの水沢山の方向に飛んで来るガンの群れを見つけました。
それから早春に今度は「待てよ」と「行ける所まで行ってみるか」ということで、水沢ダムのあの辺から“かんじき”を履いて、この辺まで“かんじき”を履いて行きましたら、ガンが4,5羽でなかったかな、風に吹かれたようにこの辺まで落ちてきたんですよ。それはまあ風が強かったのかな。
やはり、これ ( 大潟村 ~ 十三湖ライン ) を渡るということがわかりました。
ガンは今では小友沼や大潟村その他の人工の池沼にたくさん渡ってきます。
太古の昔は、もちろん小友沼などの人工の池沼はなかった。ですから、ガンたちは自然の池沼に毎年渡って来たと考えられます。
私が鳥の観察を始めた1960年、昭和35年のころは、ガンは青森県の十三湖と秋田県の八郎潟にごく少数渡って来ているだけでした。八郎潟に探しに行ったことはあるんですけれども、ガンはおろか白鳥さえもいませんでした。今では考えられないですよね。
(スライド) 次お願いします。
これは【宮林さん1994年】からの引用ですが、日本へ渡来するガンの数の変化をグラフで表したものですが、(1940年) 6万羽ですね。ものすごく少ないです。どんどんどんどん10年20年で ( 減少 ) ------ これが1万羽の線ですからこれ2万羽ですから ------ (1970年 ) 7千羽か8千羽しか日本には渡って来ていなかったことになります。10年後 (1980年 ) もまだ同じですね。それから急激にまた増えてきているというグラフです。
先程、小友沼は元和4年、江戸時代の始めに58年かかって造られたと言いましたが、その後の江戸時代や明治時代に、能代平野・小友沼にガンが渡って来ていたかどうかはわかりません。わかっていません。でも私が考えるには、きっと渡って来ていたと思います。で、こういうふうに減ってきたために、おそらく小友沼や能代平野にガンは来ていなかったと思います。
昨日ですが、別の原稿を書かなきゃいけないんで、これも小友沼関係なんですけど、昔の私の記録を半日かかって調べてみました。
いつからガンが能代に来ていたかというと、私の記録をいろいろ探して調べたら「昭和57年1982年」に “産物” 知っているでしょうか。「産物の米代川でヒシクイ2羽」という記録があります。
それから、次の年の「昭和58年」に「小友沼で初めてマガン10羽」というのが記録してございました。
その後、毎年ガンは増えたり減ったりしてますが、全体としては増加して現在に至っております。
現在日本に渡って来るガンは20万羽以上だと思うんですけども。(会場の) Uさん、わかってますか? 30万? きっとそうですね、うん。私は20万位と思ったんですがそのくらいは来ているでしょう、きっと。30万位だそうです。そういうふうに、もう何十倍にも増えたわけです。
(スライド) 次お願いします。
先程の赤い線を中心に能代平野全体、海上もガンは渡って行きます。
これは、この写真は小友沼の朝に飛び立ったガンです。
(スライド) 次お願いします。
これもそうです。
(スライド) 次お願いします。
これもそうです。
(スライド) 次お願いします。
これも、これは小友沼の朝もやの中の綺麗な写真です。
(スライド) 次お願いします。
これはマガンなんですが、マガンが着水する時は、白鳥のように「ズボーン」と降りてこないで、途中から木の葉が散るように「ひらひら」と落ちてくるんです。ですから落雁という言葉が使われております。
(スライド) 次お願いします。
ここにちょっと、かわは2羽いるんですね。ほっぺたが白いんで ------ 写真が悪いんでよくわかりませんが ------ シジュウカラガンといって珍しいガンですが、仙台の動物園「八木山動物園」でこれを専門に孵化させて放して、アリューシャン列島とかああいうところの島でこれは繁殖しているガンも一亜種なんですよ。なんかもう来るんですね。
(スライド) 次お願いします。
これちょっと大きいですが、ほら違うでしょ。こっちマガン、こっちがシジュウカラガンです。
(スライド) 次お願いします。
これは白いハクガン。これ何処の写真かな。小友沼にも来ましたが、
昔、大潟村に1羽来た時は、大騒ぎしました。もう日本中と言うと大袈裟ですが、遠くからも、たった1羽のこのハクガンを見るために来た人たちがいるほどです。
それから、いつかは小友沼にもたった1羽来ました。
(スライド) 次お願いします。
これがハクガンです。これは宮城県で私撮った写真ですが、白い綺麗なハクガンです。
これは先程のように、ほとんど日本には来ていなかった。
江戸時代には「東京湾が白くなるほど来ていた」と言いますから、それが全然来なくなったんですね。
それでロシアで ------ このハクガンはウランゲリ島とか北海、あの周辺で繁殖している鳥なんですが -----
この卵をマガンに抱かせて。
すると生まれたガンの子はマガンを親だと思ってついて行くんですね。親の後をついて行くということで最初は増やそうという計画がされましたが、最初は日本に来ませんでした。韓国の方に渡っていましたけど。そういうハクガンです。
(スライド) 次お願いします。
あ、色々これ小友沼の指定の
(スライド) 次お願いします。
それで、京都でユリカモメというカモメを研究している人 ------ ユリカモメっていうのはほら、頭の真っ黒いミヤコドリって言われていた鳥がユリカモメです ------ その研究をしていた人が、ロシアの学者と連絡を取って、そして『ガンを保護する会』仙台の人達ですね中心が、ロシアの学者の先生方に首輪を送るんですよ。そうするとその首輪をつけたガンがやって来るんです。
それを読み取った表です、これ。
9月10月ですから、秋ですね。
秋に例えばP57というガン ------ P , Mこれも意味がありますがちょっと後で ------ は小友沼には2日しかいないと。それからM76というのは1·2·3·4日しかいないと。そういうふうな表です、これ。
これを『ガンを保護する会』に送りますと、そういう報告が全国から集まりますから、そのまとめたのが返って来るんです。
すると何がわかるかと言うと、先程のような「国内でどこを渡って行くか」というのがこれでわかったわけです。そういうふうな方法で。
(スライド) それで次お願いします。
小友沼で見つけましたA1Aという首輪をつけたマガンです。これが渡ってきたルートがわかったわけです、こういうふうに。
これは1991年です。「夏にアナジリ」って書いてます。「アナドゥリ」、ここですね、ここ。ベーリング海峡、この辺の大きな湿地です。にどおり見たことありますけど、もう人は絶対行けないような低地ですけど、沼地。
ここで16羽に標識をつけるんです。この内の1羽が旭川に、ここに宮島沼ってのがあるんですがここもガンが集まる所なんです。ここに来たんです。その年に。91年に。
そしてその次の年の92年に、このA1Aと書いている標識をつけたガンが、今度はこっからやっぱり宮島沼に来てそれから小友沼に来たんですよ。
これで初めて、「日本の人達は、冬に秋に北からガンが渡って来るのはわかるけれども、どこから渡って来るのかわからなかった」
それから、「ロシアでは、南に秋に子どもを連れて飛んで行くガンがどこに行くのかわからなかった」のが、これで国内ばかりかこっから来るってことがわかったわけです。
これが、ここで発見されたのが10月の15、小友沼に来たのが1991年のそれから5日後ですね。
(スライド) 次お願いします。
同じくオオヒシクイというP47という首輪をつけていました。小友沼に来たやつです。
それからA1Aという先程のマガンの標識はA1Aでなくて標識が首輪ですから首にこう長い細長いですこれは円筒です。で、ここに大きくAと書いておって下に小さく1Aて書いてるんです。先程は文字ではA1Aと書いてましたが。そういうふうな でこれはこのずでずどかんこですね、ここでいつ標識されたものかわかりませんでしたが小友沼にやってきております。で、この標識をつけたヒシクイは1週間小友沼に滞在しております。
(スライド) 次お願いします。
これはマガンですね。マガンが日本の国の中をどう渡って歩くかという図ですが、この青色が日本海側、この橙色が太平洋側を渡るガンです。マガンです。で、太さは範囲ではありません。こっからここまでの幅の広い範囲で渡るという意味ではなくて、ここに書いているように羽数です。多いということです。で、それが小友沼、大潟村:昔の八郎潟ね、今の大潟村。それから仙台. 宮城. 伊豆沼とか、というのがマガンの渡りのルートです。
(スライド) 次お願いします。
それからこれはヒシクイの国内の渡りの経路です。どちらかというと日本海側よりも太平洋側を渡っております。
(スライド) 次お願いします。
これはもう全く日本海側を渡ってゆきます。(スライド) 次お願いします。
そしていよいよ秋というしるしです。小友沼の霧氷です、綺麗な。
(スライド) 次お願いします。
あっ、いろんなガンがいますね。赤いのが日本に渡って来るガンです。
(スライド) 次お願いします。
ガンの主な渡来地をここに挙げておりますが、小さくてわかりませんね。まあ色々とたくさんあります。
(スライド) 次お願いします。
先程はガン全体、これは今度はマガンだけね。
(スライド) 次お願いします。
これはヒシクイと
(スライド) 次お願いします。
「早春の3月再び小友沼に集結。そして朝の飛び立ち」と書いてますが、
(スライド) 次お願いします。
ほら、これ全部ガンですよ。
参加者:うわー すごい
(スライド) 次お願いします。
ほら。繁殖地では一つの巣から隣の巣までは何キロも離れています。こんなの見ると「あーれこれがたみんな友だちで傍で繁殖してるのかな」と、思いますが、ずーーっと離れてるんです。それが渡って来て、小友沼から北へ帰る時はこんなに集まります。
(スライド) 次お願いします。
これもそうです、小友沼です。
(スライド) 次お願いします。
これもそうです、
(スライド) 次お願いします。
これもそうです、これがマガン。ちょっと写真よくないですが。
(スライド) 次お願いします。
これがヒシクイ。こういうガンたちですね。
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これはちょっと目玉の周り黄色いリングがありますが、カリガネといって珍しいです。
珍しいというよりも、たくさん来ているんだと思いますが、何万という中からこれ見つけるのはちょっと不可能に近いくらいですね。
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これはですね、米代川のどこで餌をとってるかっていう、この円で表わしてるんですが、まあこういうふうな月ごとに。
米代川、あの周りの田んぼですよ。みんな全部。南中学校のあの辺りから。
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これがそのブロックごとに記した、どこに行ったかという図です。
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これは金拓。っておわかりでしょうか。鶴形のちょっと手前の金拓。I. K. さんですね ------ 今の I. S. さんの一族 ------ が金拓というところに田んぼを作ったんですね。そこで飛び立ったガンの群れです。
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これは「小友沼の朝の飛び立ち最大羽数」っていうのを1998年から2010何年まで調べたやつなんですが、これは2012年ですね。2万羽くらい来てるんですよ。(客席:20万) え、今(私)なんて言いました?(客席:2万) ははは やばい 20万、今までで最高でなかったんでしょうか。
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調査は、今度首輪からアンテナに変わりました。ここちょっと見えますかね。よく写ってませんが、これブレてるから。
これは、にしべという専門家が撮った写真です。
私の家のあそこ鳥小屋って言うんですが、M. S. さんというM農園があります。そこの旦那さんがみせをして、私が番号読み取って『ガンを保護する会』に報告しましたら、これはカムチャツカ半島で首輪をつけたガンということがわかりました。
それまでは、この首輪だけだと、見つけてもらわないと、何処を渡ったかわかんないんですけど、アンテナつけてGPSとやり取りしてるんです。ですから、いつどこで何してるかまでわかるそうです。
その電波を送ってやってGPSアルゴスシステムと言ってそれを人工衛星から地球上に3カ所かな、そこに電波を送ってそれ位置を測ってここにいたというのがわかる、そういうシステムに変わっております。
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これがそのアンテナですよ、ね。現在はもっともっと小さな小鳥にもつけられるように改良されてきています。
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そしてマガンは、このアナドゥリからなんと ------ このアリューシャン列島を渡ってとか、こういうふうな海岸を渡って来るんでないかとみんな考えておったんですが、やっぱりガンだって遠くを渡るのは苦労するだけでしょ ------ まーっすぐ来るんですね。そういうことがわかったんです。
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これはオオヒシクイとただのヒシクイ。ヒシクイとオオヒシクイ。片方はこういうふうに渡って、こっちの方は何も線書いてない。あっこれ線かな。というふうなことが現在はわかっているわけです。
(スライド) 次お願いします。
そしてこれわかりますよね。
鶴ですよ、タンチョウ。
これ金拓に来たんですね。7,8年前だそうです。これは『特別天然記念物』ですから。なんと、文化財になおせば『国宝』ですよ。
(スライド) はい、次お願いします。
いよいよ北帰です。北へ帰る。で、小友沼に一晩に十数万羽集まるガンたちはそれぞれ小さな群れになって北へ帰ります。
日本に渡ってきたガンもおそらく6、7割は能代平野を通るんじゃないでしょうか。
やっと増えたガンたち、北帰の途中で能代の小友沼で眠り、能代平野で毎日エサをとって北へ帰るチャンスをうかがっているガンたち。
そして南風が吹くといよいよ北帰です。よく観察すると、北風が吹いている時は飛び立ちますが必ず戻ってきます。んだよな、あたり前ですよね。
(スライド) 次お願いします。
北へ帰って行くガンたちです。
(スライド) 次お願いします。
そうですね、これはどこの山でしょうか。
白神山地です。白神の山々を越えて行く。
(スライド) 次お願いします。
これは、荷八田、落合、沢目、水沢、に計画されている大型の風車です。
ただ今計画の段階ですが、『考える会』ではこの前ここをみんなで一つ一つ全部回って見てきました。
ここに、こういう風車が計画されてるんです。これ全部が能代平野です。切石からこっちはもうすぐ二ツ井ですし、あと田んぼがあるっていうのは鷹巣の方に行かないとありません。
まとめてみますと、ガンは『天然記念物』ですから。さっきの鶴は特別がつきます。特別がつかない天然記念物ですから、ガンは。「文化財では重要文化財、国指定の」に相当します。
ガンの渡りはこの赤い線をさっきの赤い線ですね、中心に能代平野全体を渡って行きます。海岸部も渡ります。渡る時は、能代平野よりも右:東の方、鷹巣・大館はもう話にならないくらい少ないです。
つまり、何を言いたいか。
能代平野はまさにガンの渡りで、渡りの日本一の場所なんですよ。
そこに、こういう風車が計画されているんです。
能代は山本の人たち、政治家、事業者にもっと知って欲しいと思いますよね。
(スライド) 次お願いします。
そういうふうな風車が、これは山科鳥類研究所 ------ こういうふうに書いてありますが ------ からの画像なんですが、これレジュメには載せていません。なぜかと言うと勝手に使っていいのかちょっとわかんない図でしたので、レジュメには載せていませんが、今飛んでいるこれは羽根の大きさがこうでしょ、これなんだと思いますかね。なんか飛んでいるらしいですけど、これはオジロワシです。( 会場:ほおーーーどよめき )
ええ、天然記念物の。で場所は北海道の根室市と。
山城鳥類研究所と言うのは、鳥のやっている人方にはひじょうにいい場所というか色々勉強させてもらえる場所でして。
動物でも植物でも標本にはタイプ標本っていうのがあるんです。ていうのはその学者の先生たちが、その名前を付けたその鳥なら鳥、ネズミならネズミ、を標本として残しておくんですね。そのタイプ標本が、ここの研究所には200位あるんですが。
まあとにかくこう見ますと、あの大きなオジロワシが (風車と比べると) こんなに小さく見えるんです。
風力発電は現在は一番多いのは中国。あ、一番多いのかどうかはわかりません。中国。日本は50分の1だそうです。そして2050年までの間に現在のおよそ30倍に風車は増えるだろうと、言われております。
(スライド) 次お願いします。
これも同じ、山城鳥類研究所、図が。
これトビだそうです。右の羽根が風車で落とされて、それでもよく命を落としてなかったんですね。
クリーンエネルギーとして、クリーンなエネルギーとして考えられている風力発電が、こういうふうな面で非常に野生の鳥たちにとって害になっているということです。
(スライド) 次お願いします。
それで、「なんでぶつかるのか」というのはよくわかってないって言います。
きっと、私が考えたのはタカ ------ ワシ・タカがぶつかる率が多いんだそうで ------ それだとエサを探して下ばっかり見てるからぶつかるんじゃないかなと思ったりしていますが。
この写真はですね、これは猛禽類医学研究所ってのが北海道の釧路湿原、その中のなんとか研究所·····国から委託されている鳥の施設があるんですが、その中入っているのが、ここに袋十くらいあるんだそうです。何かが入ってるんだそうです。私もびーっくりしましたが、この中にオジロワシが入ってるって言うんですよ。全部が風車に衝突して死んだオジロワシ。2017年です。11月14日にTwitterに投稿され驚きの声が上がっていると言います。袋は透明で、研究室の横に10以上も積み上げられ、中には立派な羽根が見えていたのもあったそうです。
2004年ごろから、大分前ですが、北海道でも風が強い道北の日本海側に風力発電所が次々に建設されており、その頃から、衝突した個体を冷凍室に保存していると言います。冷凍保存してきた10個体 たくさん40個体の中の半分位がこの中にあるんだそうで、単純に計算すると、オジロワシは年に3羽ぶつかって死んだそうです。北海道では。
ただ、これは後で話しますが風の松原の一番最初に出てきた風車、あそこでもぶつかってるんですが、キツネなんかが北海道では多いですし、それから風の松原にもキツネがいますから、彼らはそう簡単にそういうふうにうまいご馳走を見逃すはずはありませんから、実際はもっともっと落ちて死んでるんだと思います。
温室効果ガスを出さないクリーンエネルギーと※ ※ 騒いでる陰にこういうことが起こってるわけです。
(スライド) 次お願いします。
これが猛禽···先程の研究所の、これはほら、ぶつかって切れて死んでる これもオジロワシです。なぜかワシ類、ワシ・タカが多いんですね。特に北海道ではオジロワシが多いんです。
(スライド) 次お願いします。
これもオジロワシで、これはまだ生きている状態で撮った写真です。
ほかにも、配列を組んでこの風車の上を、すぐ上を飛んで行くガンの群れ ------ ガンだと思います ------ がそういうふうな映像や、それからもうすごい映像もありました。
ぶつかってスーッと落ちてくる鳥の映像も見つかっています。
あと、これしか持って来ませんでしたが、あまりにも残酷で見ていられないような写真がなんぼでもあります。
想像以上の鳥が、新しく出てきた風車のために、命を落としていると。
バードストライクはーーーーバードストライクを防ぐーーーーここにも見えますが、こういうふうに (風車に) 色塗ってるんですね。それから音や光を出したりしているんですが、「有効な手だては一つもない」と言っています。見つかってない。
おまけに、能代市は「風車が能代市にとってどの位のメリットがあるか」という質問に、2回も「わからない」と答えています。そんな状態で、のめり込んでいいのかと。
ということで、前半の「ガンの渡りの話」は終わって、次は「風の松原・河口の鳥たち」です。
次回後半に続きます。
後半はこちら↓